オーケストラ・レポート Orchestra Report
ザルツブルク音楽祭 2010年8月 (Y.O様)
大変お待たせいたしました。O様が、旅行記と併せたレポートをお寄せくださいました。私の更新が大変遅く、申し訳ございません。
ザルツブルクでのお目当ては「ザルツブルク音楽祭」だ。古くからある音楽祭で、亡きヘルベルト・フォン・カラヤンが1960年に落成なった祝祭劇場でリヒャルト・シュトラウス『薔薇の騎士』を振っている。
さて、このザルツブルク音楽祭はセレブリティーの祭典だから、チケットの入手が容易でない。今回は、音楽祭チケット専門の代理店「ムジーク・ライゼン」を使い、計5夜の公演のチケットを確保した。いずれもカテゴリー2の座席だったが、十分満足のいく聴き応えであった。
最初の夜は、アンドリス・ネルソンズ指揮、ボストン交響楽団によるマーラー『交響曲第六番』。ネルソンズはまだ30歳代の若手。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の次期音楽監督の候補として名が挙がっていた。どのような指揮ぶりか、注目した。
一言でいうと、「ずいぶん粗い指揮ぶりだ」ということだ。第一楽章の出だしで弦楽器の強奏のシークエンスがあるが、ここでネルソンズの粗さがもろに出ていた。シャルル・ミュンシュや小沢征爾の指揮ではボストン交響楽団からこのような音は絶対聴かなかった。ネルソンズには、ベルリン・フィルの音楽監督になる前に5年ほどボストン交響楽団で強奏と音の合わせを勉強してもらいたい。
二日目の夜は、ベルチャ弦楽四重奏団による、ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第14番』とシューベルト『弦楽四重奏曲ハ長調』の演奏。私の知らない弦楽四重奏団だが、ともに長大な楽曲をタフに演奏していた。
三日目の夜は、今回の目玉のリヒャルト・シュトラウス『薔薇の騎士』。フランツ・ウェルザー・メスト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だ。
このオペラは、リヒャルト・シュトラウスがモーツァルト『フィガロの結婚』を模して、同じ時代(18世紀のマリア・テレージアの治世)の宮廷を舞台にした全3幕のオペラだ。台本はフーゴー・フォン・ホーフマンスタールによるもの。
第1幕は、元帥婦人と若いオクタヴィアン伯爵との逢瀬を中心にしたシーンで、元帥婦人の「もう若くはない」という感慨が印象的だ。
第2幕は、元帥婦人の姻戚のオックス男爵と新興貴族の娘ゾフィーとの婚約をめぐるドタバタと、オクタヴィアン伯爵とゾフィーとの親密化の過程が描かれる。
第3幕では、オックス男爵の助平ぶりが描かれ、彼とゾフィーの破約、オクタヴィアン伯爵とゾフィーとの婚約、および、元帥婦人とオクタヴィアン伯爵の別離が描かれる。
ホーフマンスタールの台本を読んだ時に感じたことだが、この第3幕は余りにもご都合主義に過ぎる。その上、モーツァルトの『フィガロの結婚』と『ドン・ジョヴァンニ』の模倣があり、軽薄な作りに見える。著名なホーフマンスタールの台本だけに正面から批判する人は少ないかもしれないが、これはいただけない。
四日目の夜は、ズービン・メータ指揮、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団によるシェーンベルクの2曲とチャイコフスキー『交響曲第六番<悲愴>』の組み合わせ。おや、メータが杖をついている。昨年3月ベルリンでベルリン・シュターツカペレを指揮した時には杖を使っていなかったのに。メータに老いが確実に迫っているようだ。シェーンベルク『浄夜』が良かった。
最後の夜は、ヨー・ヨー・マによるバッハ『無伴奏チェロ組曲』から3曲。この組曲には、ピエール・フルニエによる典雅な名演、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチによる軽快な職人技などがあるが、ヨー・ヨー・マによる演奏は安定していて、これもまた好ましい。公演は圧倒的なスタンディング・オーベーションの嵐に包まれた。私の最後の夜にふさわしい演奏を聴けて満足した。
実は、音楽祭の最終日には、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とが1日で聴けるチャンスがあった。だが、これらを聴かずに帰途につくことにした。8月中に日本に帰りたかったこと、両管弦楽団のプログラム(ウィーン・フィルはブラームスとシュミット、ベルリン・フィルはブリテンとショスタコーヴィチ)が今一つ魅力なかったこと、また、チケット代が嵩むこと、などでこの試みは諦めた。同じ日に同じ演奏会場で世界最高峰の2つのオーケストラの音を聴き比べるチャンスを逸したことはやや残念だ。
~カラヤンの墓~
ザルツブルクの街はザルツァハ川を挟んでホーエン・ザルツブルク城塞を背負う旧市街と対岸の新市街から成る。プラハ、ブダペスト、ハイデルベルクの街々と同じ構図だ。ザルツブルクの街はそれらの街に比べると小さい。街の観光は徒歩で済ますことができる。
ザルツブルク音楽祭の公演は夜18時から21時までの間に始まる。それまでの時間は観光に充てることができる。幸い、今回は体調も良好で、好天続きだ。朝食を済ませて街歩きに出て、午後15時までにホテルに戻る。その後、休息し、着替えをし、食事を取り、公演に備える。このパターンで一日を過ごせば、疲労を残さないことがわかった。
最後の公演の日は、夜19時30分まで暇がある。観光や街歩きには飽きた。ホテルで読書するのも億劫だ。それで、ガイドブックで見たカラヤンの墓地に行ってみようか、と思った。旧市街からバスに乗ってアニフの街に行く。バスを使うのは今回初めてだ。小さな墓地の片隅にカラヤンの小さな墓がひっそりとたたずんでいた。墓前はこの地でポピュラーな花でうずめられ、墓標にはやはりこの地でポピュラーなツタを絡ませてある。現役時代の派手好み・完璧主義の演奏からは想像もつかない質素な墓に感動した。いや、完璧主義とは簡素さを極限まで追求することなのかもしれない。
大変お待たせいたしました。カラヤンのお墓は、人気が高いですね。今でも、カラヤン詣でをされるお客様が、後を絶ちません。